小正月とは?簡単に
- 小正月とは、旧暦1月15日。昔はその年の最初の満月の日を指した
- 新暦に変わってからも旧暦でのお祝いが続き、元日を「大正月」と呼ぶのに対し、1月15日を「小正月」と呼ぶようになった
- 小正月は「女正月」とも呼ばれる(年末から松の内の間まで多忙だった女性を労う日でもあるため)
- 小正月は餅花や繭玉を飾り、小豆粥を食べて邪気を払う
- 正月飾りや書き初めを焼く「どんど焼き(左義長)」も、小正月に行われる伝統行事
旧暦1月15日は一年で最初の満月の日だった🌕
お正月とは、三が日や松の内の間だけでなく、新年を迎えた最初の月のことを指します。
旧暦を使っていたころ、月の月齢と祭事は密接な関係があり、旧暦1月1日は、朔日の新月のお祭りでした。この元日から満月までの間の正月を「大正月」や「男正月」と呼びました。
そして旧暦1月15日には、新年初めての満月を迎え、満月をお祝いする「小正月」や「女正月」の行事が行われました。古くは、この満月の日が元日であった時代もあったようです。
小正月の飾り物
餅花・繭玉飾り
餅花とは、豊作を祈って飾る小正月の飾りのこと。柳の木などの枝に、紅白の餅や団子を小さく丸めたものをつけます。餅花はたわわに実った稲穂(=豊作)を表しています。餅ではなく繭を使う地域もあり、その場合は「繭玉飾り」と呼び名が変わります。
餅花や繭玉は神棚に供えたり、柱や台所などに飾ります。
中部~関西で見られる小正月飾り。サイコロ型の餅が刺されることも
北関東~東北で見られる小正月飾り。縁起物の飾りがついている
粟穂稗穂
粟穂稗穂は、竹やカツヌキ(梶の木)を粟穂・稗穂に見立てて作った飾り。庭先や畑に立てて粟や稗の豊作を祈願します。
現在の日本人は白米を主食とし、穀物を摂る習慣が減ったため、粟や稗の栽培の衰退とともにほとんどみられなくなった文化です。
小正月に食べるもの
小豆粥
小豆粥は小正月の朝に食べる、小豆の入った粥。「十五日粥」や「望粥」とも呼ばれます(十五日が望月と呼ばれていたことから)。
昔から赤い色のものは邪気を払うと考えられていたため、小豆が用いられました。五穀豊穣や無病息災を願っていただきます。
小豆粥は冬至の日にも食べられる風習があります。
小正月の行事
どんど焼き(左義長)
どんど焼きとは、門松や注連飾り、だるま、書き初めを燃やして無病息災を祈る行事のこと。「左義長」と呼ぶ地域もあります。
神社の境内や田んぼで、1月14日の夜か1月15日の朝に火を焚き始めます。歳神様がこの煙で山に帰ると伝えられています。
「どんど焼きでの火で焼いた餅を食べると一年間健康に暮らせる」
「書き初めを焼いた炎が高く舞い上がると字がうまくなる」などの言い伝えがあります。
どんど焼きの様子。正月飾りや煤梵天などが燃やされている
どんど焼きで焼かれた餅。餅花を焼くことも。
- 正月飾りなどを神社に納められないときにはどうしたらいい?
- 広げた新聞紙などにお飾りを置いて、塩を振りかけてお清めしてから包みます。ほかのゴミと一緒にせず、正月飾りだけをまとめて処分すると良いでしょう。
藪入り(里帰り)
薮入りとは、商家などで住み込みで働いていた使用人や嫁いだ女性が、小正月が明けた1月16日に実家に帰ることができた休日のこと。現在の正月帰省の起源ともいわれています。
語源は藪の深い田舎に帰る、奉公人を実家に帰す「宿入り」がなまったなど諸説あります。
鳥追い
鳥追いとは、新潟県で見られる米づくりの成功を願うための行事。
子どもたちがスゲでつくられた三角の帽子をかぶり、拍子木を打ちながら鳥追いの歌を歌って歩きまわり、かまくらに向かいます。到着したらかまくらの中に入って遊びます。
年占
年占とは、その年のよしあしや毎月の天候を占うこと。一般家庭や神社の神事で、小正月のころに集中して行われていました。年占には、様々な方法がありました。
粥占
お粥に竹筒を入れて炊き、筒の中にはいった飯粒やおもゆの量によってその年の農作物の豊凶や月々の天候を占った
置き炭
囲炉裏の中でヌルデやクルミの木などを焼き、その焦げ具合で月々の天候を占った
年見
餅を白米の上に載せて1晩置き、米の付きぐあいで早・中・晩稲の豊凶を占った
歳神様とは? 歳神様(としがみさま)とは、日本神道における新年の神様の呼び名です。稲の豊作をもたらすとされており、農作物が豊かに実り、食べるものに不自由することなく暮らせるようにと、昔から大切に扱われてきました。 歳神 …